Yamagata, Japan

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高木歯科医院の歴史
■1945年〜
■1956年〜
■1980年〜
■1985年〜
■1990年〜
■2000年〜
■2006年〜■2010年〜


2000年。山寺街道と仙山線ガードの拡幅工事に伴い、風間診療室の閉鎖を余儀なくされた。

山形県(建設事務所)と何度も話し合いをしたが埒があかず、断腸の思いで移転することになった。

 

 

 

近隣に移転先を求めたが、諸般の事情でおよそ2.5km離れた大野目地区の浜崎に移転することになった。急ピッチで診療所の建築がなされた。

この年の4月に院長は母を亡くし、ほぼ同じ時期に移転の準備に入らざるを得なかった。肉親を亡くした悲しみに暮れる暇もなく役所との話し合い、移転先の選定、診療所建設のためのさまざまな雑務に追われ、肉体的、精神的に疲弊した時期でもある。

 

2001年3月1日。多くの方々の力によって浜崎診療室開業。

人の情け深さや役所の薄情さなどをずいぶん感じながらの移転だったが、移転にかかわった医院のスタッフ全員が同じ気持ちになれたことは、あえて言葉にしなくとも「やさしさ」や「思いやり」を実感でき、「優しさあふれる歯科医院」を目指すことが自然の成り行きとしてできたことは喜ばしいことだった。

 

 

浜崎診療室は日当たりが良いだけではなく、いつも笑顔を絶やさない診療所なので、いつもまぶしいくらいに明るいのが特徴だ。

夜でも明るいのは、拡大しつつある院長のおでこのせい?

 

 

風間に通っていただいていた患者さんにとっては、少し遠くなってしまったが、広い駐車場を確保できたために、車での通院にはとても便利になったと言っていただけた。

また開業当初近所には「ヨークベニマル」しかなかったが、2003年に「東京インテリア」が隣地にでき、、「ヤマダ電機」など大型店が相次いで進出し、浜崎診療室周辺はとても活気のあるショッピングエリアとなった。

2001年ドイツのハノーファーでの国際シンポジウムで講演後、インプラントのトップメーカーのひとつである「フリアデント社」から、院長と技工士の菅井氏がインストラクターとしての認定を受けた。

マイン川のほとりに建つ古城レストランでの認証式は、とても趣のあるものだった。

下はマンハイムにあるフリアデント社

院長はもともと米国ステリオス社および日本の京セラ社のインストラクターでもあった。ひとりで複数のインプラントシステムの公認インストラクターを務める例は極めて少ない。

左は毎年行われている京セラ社POIシステムのインストラクターミーティング。下は滋賀県蒲生にあるPOI製造工場を同じインストラクターの岡村浩人先生と見学に行ったときのもの。

2003年11月トーメンメディカル社(TM社)の招きでスイスを訪れ、スイス製のSPIシステムを紹介される。このシステムの臨床アドバイザーに任命され、日本でのインストラクターとなった。

毎年開催されるSPIアドバーザリーミーティングへの出席のほか、スイスの研究所、工場などへも訪問。スイス訪問は、年中行事となった。

左からリーブレクト氏(TM社日本支社長)、スツッツ氏(TM社CEO)、タカギ、スネッティヴィ博士(SPI開発者)

(肩書きは2005年当時のもの)

院長と技工士の菅井氏は、国内外での学会、研修会、講演会などの講師、インストラクターとして東奔西走の日が続く。平日は診療、週末は出張。毎晩遅くまでその準備に時間をとられるが、これまで自分たちが教わってきたことや日常の臨床で経験してきたことを、少しずつ若いドクターや歯科技工士たちに伝えていくことも大事な仕事だと考えている。

  

年に20回以上国内での講師としての出張に加え、年に2、3回は講演や学会出席などのために海外にも出かけている。2000年以降、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、シンガポール、香港、上海、台湾などで講演を行った。

そこで出会った多くの人たちとの交流が、また大きな財産となっていく。

左はドイツの学会。下の左は香港でのインプラント学会、下真ん中は上海において北京や上海の医科大学の教授クラスのドクターにインプラントの講義をしている、下の右は上海の個人診療所にてインプラントの講習の講師を務めたときのもの。世界中で多くの歯科医師、技工士からエネルギーをもらってきた。

  

 

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