Yamagata, Japan

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高木歯科医院の歴史

■1945年〜
■1956年〜
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■1990年〜
■2000年〜
■2006年〜   ■2010年〜


 1990年11月、スマイラー先生からの招聘で米国の学会で講演。人生初の英語での海外講演だったが、さほど緊張もせず自分の診療を紹介することができた。無名な山形の歯医者は多くの著名なドクター達に「仲間」として受け入れてくれた。左からタカギ、ジャック・クラウザー先生、トーマス・ゴレック先生、チャールズ・イングリッシュ先生、ジェラルド・シシェ先生、スマイラー先生、バートン・メルトン先生。(いずれも世界的に著名なドクターばかりで、とても恐縮した)

肩書きやネームバリューよりも「やっている事」をプレゼンすることで認められるアメリカ社会を実感したときである。

1993年5月には、レンゾ・キャッセリーニ先生の紹介でブラジル、サンパウロで行われた国際学会で2時間半の英語でのプレゼンテーションを行った。

講師として招かれた各国の著名なドクター達と交流できたことは、高木幸人にとって大きな財産となった。

特に南加大の補綴の臨床教授でビバリーヒルズで開業しているロバート・リフキン先生とはその後親交を深め、何度も彼のオフィスを訪ねることになった。リフキン先生は審美歯科の大家でフランク・シナトラ、リンゴ・スター、マイケル・ジョーダンやハリウッドのスター達の主治医でもある。

香澄町診療室は当時としては画期的な設備と診療システムのもと、インプラントを中心にした先進的な歯科診療を行っているということで、何度か歯科の専門誌や一般雑誌などに取り上げられた。山形という地方での開業でありながら全国的に注目され、東京や大阪などからも歯科関係者の見学や、患者さんが訪れるようになった。

米国カンサスシティで開業している友人で補綴の専門医のジョン・フィンレイ先生もはるばる訪ねてきてくれた。地方都市での頑張る様子に感動し、翌年院長を米国インプラント補綴学会に講演演者として招待してくれた。

←また、酒田の熊谷先生の招きで山形に来ていた歯周病学の権威であるペンシルベニア大学教授エドウィン・ローゼンバーグ先生が突然来訪したときには驚き、うろたえた(笑)。

 

 

香澄町診療室では診療システムやインプラント手術のデモンストレーションなど研修会がしばしば開催され、全国から歯科医師が参加した。

1997年大雪と突風で風間診療所の看板が倒れてしまった!

高木歯科医院の危機!?

1998年7月ドイツ、フランクフルト大学の口腔外科学教授ゲオルク・ネントビック先生の下で個人的に研修する機会を得た。

ネントビック教授はAnkylosインプラントシステムの開発者で、欧州ではインプラントの権威の一人である。威厳のある顔貌とは裏腹にとても穏やかで心優しいドクターで、何症例か一緒に手術に立ち合わせていただいた。

 

 

これまではアメリカ一辺倒であった院長の研修は、フランクフルトでの研修以降欧州にも目を向けるようになり、EAO(欧州インプラント学会)の会員にもなって毎年のように欧州へ研修に出かけるようになった。

写真は1999年ベルリン自由大学に研修に出かけた時のもの。アイゼンマン先生やステラ先生ら院長よりも年齢の若い助教授クラスのドクターたちが中心になってドイツのインプラント臨床を牽引している様子に大いに刺激を受けた。アイゼンマン先生(左)とは、以後長く親交を持っている。

歯科技工士の菅井氏もドイツ、ハナウにあるデグサ・デンタルのラボを訪問するなど精力的に欧州の質の高い歯科技工を研鑽し吸収してきた。 

 

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